【アモリ通信276:阿部仲麻呂】  20200819

福島清隆 さん


こんにちは。


SILアカデミー 1on1 オンライン顧問 福島塾
塾長の福島清隆です。
本日のテーマは「阿部仲麻呂」です。


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  一冊でわかる イラストでわかる
  図解 日本史100人

   成美堂出版  1300円+税


 異国の地で生涯を終えた

  阿倍仲麻呂

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正直言って、今回はネタに困り、忙しいを言い訳に
上記の書籍から、「阿倍仲麻呂」について丸パクリ

ま、しかし、名前は知っていた人物ですが、こうい
う生涯を送った方とは全く知りませんでした。

気の遠くなるような「へぇ~・・・」でした。


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◎ 成熟期の唐で類まれな才能をみせる

・「天の原 ふりさけみれば 春日なる
      三笠の山に 出でし月かも」
・「古今和歌集」に収められ「百人一首」にも選ば
 れている、この歌の作者が阿倍仲麻呂である。
・中級貴族の家に生まれた仲麻呂は学才を買われ、
 19歳のときに留学生として唐に渡った。
・このとき、遣唐使には、のちに橘諸兄のもとで
 活躍する吉備真備や玄昉もいた。
・当時の遣唐使のおもな目的は外交と大陸文化の
 摂取である。
・留学生の仲麻呂らは遣唐使が帰国しても唐の都・
 長安に残り、勉学に励んだ。
・そして倍率3000倍ともいわれる官吏登用試験
 「科挙」に挑戦。難関中の難関、50歳で合格し
 ても早いくらいだといわれる進士科に20代後半
 で見事合格してしまったのである。
・当時の長安は百万都市と呼ばれる都市で、外国人
 でも能力があれば高い地位に就くことができた。
・仲麻呂も時の皇帝・玄宗に気に入られ、どんどん
 出世を遂げていく。
・また漢詩にも才を発揮し、詩人の李白や王維とも
 交流があったという。


◎ かなえられなかった帰国の願い

・そんなさなか、十数年ぶりに次の遣唐使が訪れる
・盛唐の莫大な文物や優れたが学者、僧侶を伴なっ
 て帰国する遣唐使船。
・しかし仲麻呂の卓越した才能を惜しんだ玄宗は、
 帰国を認めなかった。
・ともに留学した吉備真備や玄昉、従者までが帰国
 し、仲麻呂は大きな寂寥感と望郷の思いにとらわ
 れたことだろう。
・その後、チャンスは2度訪れた。
・帰国する遣唐使船の1隻が暴風雨のため唐に戻り、
 翌年再び帰国の途についたとき。
 そして、暴風雨で現在のベトナム中部に流れ着い
 た1隻が5年後に再び帰国したときである。
・しかし、そのいずれにも仲麻呂の姿はなかった。
・幾度となく皇帝に帰国を願い出たことだろう。
・しかし、それはかなわぬ夢だった。

・それからさらに十数年。すでに朝衡(ちょうこ
 う)と中国風に名をかえ、高官に昇りつめていた
 仲麻呂のもとに再び遣唐使来唐の報せが届く。
・仲麻呂が入唐してから30年以上が経っていた。
・すでに初老の域に達した仲麻呂の願いを玄宗は断
 りきれず、ようやく一時帰国を認める。
・このときに詠んだのが冒頭の「天の原」の歌であ
 る
・しかし、仲麻呂を乗せた船は遭難した。琉球には
 到着したものの、薩摩国に向かう途中で激しい季
 節風に運ばれ、現在のベトナム中部に漂着してし
 まったのである。
・そこでは現地の住民の襲撃に遭い、乗組員百数十
 人が殺され、生き延びて長安まで戻ったのは仲麻
 呂らわずか10人ほどだったという。
・こうして仲麻呂の最後の夢はついえた。
・安史の乱で新たに即位した粛宗皇帝のもとで仲麻
 呂は再び官途に就き、ついに異国の地で73歳の
 生涯を終えたのである。

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阿倍仲麻呂の名は知っていました。
「天の原 ふりさけみれば・・・・・」の歌も一応
ナントナク知っていました。

しかしながら、阿倍仲麻呂という人物がこういう人
生を送った人物であるということは全く知りません
でした。

その辺が、教養の差か・・・(汗;;;;;;)

正直言って、気の遠くなる話です。
しかし、ふと思うのですが、阿倍仲麻呂は運が良か
ったのか、そうではないのか。

単純に、軽率に論じることではないにしても、帰国
がかなわぬ夢に終わった人生であったとしても、
もしかしたら、この人には最高の人生だったかもし
れない。ふと、そう思ってもみたのですが、どうで
しょうか。

特に、ベトナムから百数十人が殺された中、わずか
10人ほどで帰国できたということは、それなりの
待遇というか、守られていたということに違いあり
ません。

また、仲麻呂が吉備真備や玄昉と遣唐使船に乗って
唐に渡ったのが717年のようです。その時19歳。
73歳で没ということは770年没ということのようです

この時代に、日本でも中国でもその年齢まで生きな
がらえるということは、並大抵のことではなかった
のではないか。あるいは、そんなに不自然なことで
はなかったのか。
(そもそも、江戸末期くらいでも、日本人の平均寿命
は50歳までいかなかったのでは?間違いかな?)

吉備真備や玄昉は何歳まで生きたのでしょう?
調べてみました。

吉備真備 695--775 (81歳)
玄昉    ?--746 (?)

吉備真備は81歳没ですから当時からすれば随分、
長命だったのでは。
玄昉は分かりませんが、入唐したのが仲麻呂と同じ
20歳くらいの頃と仮定したら、746-717+20=49
約50歳で没。そんなものカモ。

寿命だけで論じるのはナンセンスですが。念のため


wikipediaをみるともっともっと細かい解説がありま
した。
実際問題として、仲麻呂が日本にいてもそれほどの
出世はしていなかったであろうとか・・・


そんな分析は別として、阿部仲麻呂という人物が
このような生涯を終えた方とは露知らず、アモリ通
信でついつい取り上げてみたくなった次第です。



福島さんは、阿倍仲麻呂がこういう人生を
送った人物であるということをご存知だったでしょ
うか。





ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。




最後まで読んでいただきありがとうございます。




福島さんの幸運な日々を祈念します。




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