【アモリ通信444】 心の京セラ ⑤

◎◎さん(^^♪

こんにちは。

SILアカデミー 1on1 オンライン顧問
ジョガーFの福島清隆です。【専門は物流です】

本日のテーマは「心の京セラ ⑤」です。


 心の京セラ 二十年  青山政次  

  発行者  心を高める 経営を伸ばす
       世界大会連絡事務局 

怒るばかりが能じゃない
  (昭和45年3月)  P349~P353

前回に引き続き、2週連続で「心の京セラ」を
ご紹介させていただきます。
「心の京セラ」のご紹介はこれが最後です。


第3楽章 
(二二)かく叱られ、教えられ、鍛えられ、
   育てられた

(8)43年末野最後の忘年会(青山記)

     (前略)

 12月29日、これは焼成係の年の窯の火を止める
日。遅まきながら午後8時頃集まって始めた忘年
会であった。農業協同組合の2階を借りたが、窓
ガラスは所々壊れ、寒風は遠慮なく吹き込んでく
る。暖房としてはいくつかの七輪に、炭化がカン
カンとおこしてあるだけ。しかし料理は心のこも
った手作りのものがたくさん運ばれてきた。稲盛
を中に囲んで酒盛りが始まる。差しつ差されつ、
過ぎし1年を振りかえり、来年の抱負を話す稲盛
。共に語り、笑い、歌い、尽きるところを知らず
、の更けるに従い歌声も次第に消え、あちこちに
討ち死にの姿が見られた。
 さて夜中の12時に近い頃、やおら稲盛が「解散
さんだ。皆よく頑張ってくれた。来年も頼むぞ」
と言って立ち上がったときには、稲盛と従業員が
一体となってともに酔い、共に討ち死にし心と心
との深い結びつきが感じられた。43年末の忘年
会は15,6回もあって、そのどれもこれもが印象
深く、筆者は全部出席したが、この最後の忘年
会は特に懐かしく農協の建物が寒かったせいか
、しみじみした心の温かさを感じた。

(9) してもらい根性でなく、してあげられる
   人間となれ  ミスターF 昭和44年

 私が入社したのは昭和44年3月26日ですが
その3日後永源寺の瑞石会館で、教育コンパ
が行われました。社長は所用で遅れて参加されま
して、私に今までやった内容を要約して説明する
ように言われました。「週5日制は実施するのか
」、「福利厚生に充実はどのようになるのか」と
いう内容であったので、その通り報告したわけで
すが、突然「お前のような奴はいらん、荷物を
まとめて帰れ」と恐ろしいほどの大声で怒鳴られ
ました。
 報告せよとのことであったのでありのままに報
告したのに、急に怒られるなんて当時の私には
合点がいかず、ポカンとしていました。その後折
にふれ社長から、いろんなフィロソフィを聞いて
初めて理解できたのですが、「してもらい根性
でなく、人に何かをしてあげられる人間となれ」
という事であったわけです。特に幹部候補生と
して迎えられた大卒が、ただの駄々っ児ではどう
にもならないわけだし、当時の京セラはまだまだ
規模が小さく、週5日制にしても、福利厚生に
しても「してもらい根性」でなく、それを実現さ
せていく主役でコンパを進めねばならなかったわ
けでした。
     (以下略)

(10)俎板の鯉 ミスターG 昭和44年

 私が研修のコンパの席上、社長より京セラ入社
の感想をと問われた時「俎板の上の鯉の心境です
」と格好いいことを言ったつもりでしたが、社長
には通じませんでした。「お前の言ったことは、
『まあどうにでもしてくれ』という開き直りであ
る。京セラへ入社したので、『あとはまあどうに
でもしてくれ』では全く駄目だ。やはりはっきり
と自分の考えを話すべきだ」と諭されました。

(11) 市場で売れる値段で売れ
 
 入社して間もないころ、仕事の打ち合わせで社
長室へ呼ばれ、そのとき資料として一冊のファイ
ルを持って行きましたら、それを見た社長からす
かさず「君は整理がまずい。そんなことでは仕事
はできん」と叱られました。私は整理不得手な方
ですが一見するなり図星をさされ、度肝を抜かれ
社長の洞察力に驚かされました。
 プラスチックを始めて間もない頃、羊羹をつく
るための治具をつくろうという提案がありました
「京セラは電子製品をつくるメーカーである。そ
んなチャチなものは、やるべきでない」と思い
社長にお話ししましたところ、「まだ一本立ちも
できない事業部が何を言ってるのだ。まず、如何
に生き抜くかを考えよ。事業というものは体裁や
体面ではなく、どんなものにも真剣に取り組み
利益を生み出さねばならないのだ」と教えられま
した。それから羊羹の治具をつくったときの売値
を決めるにあたって、我々の常識では考えられぬ
注意を受けました。
 普通は原価計算をしてそれに何%か利益を
加えて売値を決めるのですが「そんな決め方は
駄目だ。創業者利潤といって、市場で売れる
値段で儲けて売れ。製造原価なんて絶対の
ものでない、どうにでもなるのだ。市場値があれ
ばそれで儲かるよう、原価を徹底的に切り下げ
るのだ。また見込み生産はするな。必ず受注
したもののみ生産せよ」と鋭く教えられました。
「製造原価なんてどうにでもなるものだ。市場で
売れる値段で売り、儲かるように原価を切り下
げよ」という原理原則ですが、なかなか考えられ
ないことです。
      (以下略)

(12) 常識ではなく原理原則だ
         ミスターI 昭和46年

        (前略)
 また書類を作って社長にお見せしたとき、その
内容の間違いや数字のミスを指摘され、しばし
ば注意されました。その際、「書類上の間違いは
消しゴムで消せば直ると思うから同じ間違いを
繰り返すのだ。製造の間違いは取り返しがつか
ないから真剣になる。書き直しはできないのだと
思い、もっと慎重にやれ」と注意されました。
 お客さんの接待ではよく社長に叱られました。
「接待するからには喜んでもらわねばならぬ。
だからといって過剰にサービスする必要もない。
要は真心だ」と教えられましたが「今日のは貧弱
だ」「いや今日は豪華すぎる」と絶えず叱られ、
なかなか難しいものでした。

(13)  心に残っていること 
 
a 社長と食事  昭和47年

     (前略)

 社長は私と会社を出るにあたって2階、1階
の部屋の戸口に立たれて「今日は用があって先
に失礼します。頑張って下さい」と皆に深々と頭
を下げて挨拶されました。この光景を目の当たり
に見て、他の会社に見られない社長の謙虚な
態度に心を打たれました。

b 赴任に際して   昭和48年

昭和48年6月、私が国分工場長として赴任を
命ぜられ時、社長室に呼ばれ、こと細かに次
のような指示を与えていただきました。
(イ)フィロソフィをもっていなければならない
   これが判断の尺度になるからである。
(ロ)宣教師になってほしい
(ハ)焼酎が飲めなければならない
(ニ)鹿児島弁がわかるよう、また話せるよう
に努力すること
などであったが、仕事を円滑に進め、コミュニケ
ーションを良くするために必要な細かい親身の
ご注意をいただいたことは、いまだに忘れません

c 見送り  昭和48年

 私が鹿児島へ夜行列車で単身赴任、京都駅を
たったのは6月中旬の日曜日の夕刻でありました。
当日の見送りには、京セラから会社の役員・部・
課長の方々十名余り、そして私の以前の勤務先
の者20名余りに来ていただきました。京セラ社員
の見送りが、他社の見送りの者より少なかったこ
とが社長の耳に入り、当時の総務阿野全員が
「重要な任務を持って赴任する者を、なぜできる
だけ大勢で見送ってやらなかったのか」とひどく
叱られました。

d 無用の同情

 ある社員の定年退職後の嘱託更新3回目
の申請を私が社長に提出しました時、「お前は
あまり考えもしないで、無用の同情をして更新
を申請しているのではないか。西郷さんは言って
おるではないか。能ある者には職を与えよ。
功績があるからと言っていつまでも職位を与える
べきではないのだ。何か別の方法で考えてやれよ
」と言われ、安易な更新申請をたしなめられまし
た。

(14)社長が自動車をふく

(15)通訳の仕事 ミスターK 昭和48年

(16)しめくくり


(私見)
昭和48年+25年= 1973年
個人的なことを言うと、高校を卒業して
受験に失敗して浪人生をやっていた年です。
その頃は「稲盛和夫」なる人物も「京セラ」
とかいう企業も多分全く知らなかったという
か、関心外であったに違いありません。

しかし、社会人になってそういう時代の先輩
に鍛えられて、私の世代がありますので、
「昭和のモーレツ」のような話は、決して知ら
ない世界の話ではありません

されど、今の20代、30代の社会人がこういう
話を聞いてどう感じるのでしょうか。

時代は常に変化します。
決して、「あの頃の日本は良かった」
「あの頃に戻るべき」。という考え方ばかりが
好ましいとは限らないと私は思っています。

時代が変わっても変わらないもの、変えては
いけないもの。時代が変わったからこそ、どん
どん変えていくべきもの。

京セラは、稲盛和夫氏が亡くなって、企業
として大きな投資がしやすくなり、実際大き
な投資をして新工場の拡大等をされている
ようです。

詳細を知らない外野がとやかく言うべきでは
ありませんが、今後も、京セラは創業者の
フィロソフィが生き残り、多少の浮き沈みは
あったとしてしても、10年、20年…50年と
高収益企業のままでいられるのでしょうか。

101歳ピンピンコロリまでこの企業に注目
しておこうと思っています。

◎◎さんは、稲盛和夫のような
経営者が今の若い世代でも十分、通用する
と思われるでしょうか。
このような稀有の経営者が再び、現れるべき
と思われるでしょうか。

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

◎◎さんの幸運な日々を祈念します。

 

 
 
 

お問い合わせ・ご相談

ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

SILマネジメント株式会社

お問い合わせ・ご相談はこちら