【アモリ通信462】 項羽と劉邦

◎◎さん(^^♪

こんにちは。

SILアカデミー 1on1 オンライン顧問
ジョガーFの福島清隆です。【専門は物流です】

本日のテーマは「項羽と劉邦」です。


項羽 と 劉邦

 最強の孫子   守屋 淳

 P46~P47

日本実業出版社 1500円+税
 


またまた中国ネタになってしまいましたが、今回
はあくまでも中国古典からです。

三国志や孫子の兵法にはそこそこ詳しいツモリな
のですが、「項羽と劉邦」についても基礎的なこ
とくらい知っておこうと思いました。


◎実践下手の劉邦が戦の天才・項羽に勝てた理由

 中国史上でも屈指のライバル、項羽と劉邦は非
常に対照的な人物だった。
 戦の天才・項羽に対し、実践がからきし弱い劉
邦。しかし二人の戦いは、70回あまりを全勝した
はずの項羽が、最終的には劉邦に敗れるという不
思議な結果に帰着する。その原因には、たとえ途
中でいくら負け、いくら敵に譲歩しようと、最後
の一戦で勝つ者、政治的に勝つ者が天下を制する
という現実的な考え方を採っていたことによる。
「全戦全勝」「伸るか反るかの勝負に出る」とい
うのは確かに格好のよい言葉だが、劉邦にとって
は、格好悪くても最後に笑えればそれでよかった
のだ。だからこそ、負けたと見るや、とにかく逃
げまくった。

 特に、彭城(ほうじょう)というところで項羽
に撃破された際、劉邦は馬車で逃げるのだが、途
中で項羽軍に追いつかれそうになり、いらだった
劉邦は同乗していた二人の息子を馬車から投げ捨
てて、スピードを稼せごうする。御者がその都度
拾い上げて助けほるどだった。これほどまりふり
かまわず逃げまくったからこそ、天下が統一でき
たともいえる。

 さらに三国志の英雄・曹操も引くことの名人だ
った。ライバル劉備と漢中という要所を争ったと
きも、攻め落とすのが難しいと見るや、「鶏肋」
と言い残してすばやく撤退してしまった。
鶏肋ーーつまり、鶏がらは捨てるにはもったいな
いが、食べようとしても肉はない、漢中はそんな
土地だというのである。三国志の時代は「孫子」
の前提とした状況に近く、下手に国力を疲弊させ
れば第三国につけ込まれかねなかった。そのバラ
ンスを見越しての見事な撤退だった。

◎退却は最終的な勝利のための一手段

 日本の場合、引くことや退却することは、古来
からマイナスとされることが多い。伸るか反るか
なら突き進むのが格好良い。という発想だ。そし
てそれはたぶん、日本人ほど<戦略>好きな国民
はいないのに、同時に日本人ほど<戦略>的な思
考に弱い国民はいないともささやかれる一因にな
っている。

 引くこと、退却することは、それ自体プラスで
もマイナスでもない。最終的な勝利を目指す者に
とっては一つの手段に過ぎない。要は、その後ど
うなるかを読む冷静な目を持ち、適切な手を打て
ればそれでよいのだ。

<負けない><引く>ーー、この二つを上手に戦
略に織りまぜられる者にこそ、最後の勝利はもた
らされる。

項羽と劉邦

項羽(前232~前202)
死ぬ間際、「70回あまり戦って、向かってくる者
は破り、攻めれば必ずねじ伏せ、いまだかって負
けたことがない」と豪語するほどの戦上手だった
。ただし、部下を使うのは下手だった。

劉邦
部下を使うのがうまく、名将韓信をして「将の将
」ーー将軍を使いこなす将と言わせしめた。本人
は戦下手で負けてばかりいたが、最終的に奏王朝
崩壊後の混乱を制して、前202年に漢王朝を興し
た。


日本人ほど<戦略>好きな国民はいないのに、
同時に日本人ほど<戦略>的な思考に弱い国民は
いないともささやかれる一因になっている。

項羽
いまだかって負けたことがないと豪語するほど
の戦上手だった。ただし、部下を使うのは下手だ
った。

劉邦
部下を使うのがうまく、名将韓信をして「将の将
」ーー将軍を使いこなす将と言わせしめた。本人
は戦下手で負けてばかりいたが、・・・・・・・
前202年に漢王朝を興した。

<負けない><引く>ーー、この二つを上手に戦
略に織りまぜられる者にこそ、最後の勝利はもた
らされる。


(私見)

強くて強くて、負けたことのない人なのに最後に
あっさり負けてしまった。この人は、強かったが
人使いが下手だった。

方や、負けてばかりいたが、人使いが上手く、
最終的には勝って国のトップになった。

ついついイランコトを言う、青年キヨタカ君です
が、戦に負けてばかりいたら、相当数の人々が
死んでいるハズであり、そんな弱将のもとでは、
いつ自分も死ぬか分からない。ということで離反
するものが相次いだ・・・なんてことはなかった
のか。日本の戦国史では「下剋上」がヤマほどあ
ります。

そんなツマラン小理屈を吹き飛ばすくらい劉邦
とは素晴らしい人物だったのか。

ある意味、徳川家康もそうだったと言えなくもな
いような気がします。決して戦下手ではなかった
と思いますが。

いずれにせよ、「ここは負け」と言う状況では、
「逃げて逃げて逃げまくる」という考え方は決し
て恥ずべきことではないと心していいのでないか
と思います。

こういう考え方を否定する人は、、戦略好きなの
に戦略的な思考に弱い。結果として最終的には衰
退して終わる。そういう人物なのでしょうか?
確かに、歴史ではそういう事例に事欠かないよう
な気がします。

強くて強くて負けたことがないが、人使いが下手
なので最後の最後に負けた。
それなりに織田信長か?
 弱くて弱くて負けてばかりだったが、人使いが
上手くて最後には「競争に勝って」より大きなポ
ジションでトップにのぼりつめた。
それなりに徳川家康か?

◎◎さんは、ビジネスの世界であれ、何某か
の組織であれ、そういう実例を知っておられるで
しょうか。

実例があれば、是非知りたいです!!!

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

◎◎さんの幸運な日々を祈念します。

 
 
 

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